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栄養学の考え方を変えさせた実験(緒論)
The Journal of Nutrition Vol. 127 No. 5 May 1997, pp. 1017S-1053S
Copyright ©1997 by the American Society for Nutritional Sciences
Experiments That Changed Nutritional Thinking
Kenneth J. Carpenter, Alfred E. Harper, and Robert E. Olson
Department of Nutritional Sciences, University of California, Berkeley, CA; University of Wisconsin, Madison, WI; and University of South Florida, Tampa, FL
リンク:栄養学の考え方を変えさせた実験 (原論文)
1995年と1996年の2回行われたこのシンポジウムの目的は、栄養学の考え方を変化させた過去150年にわたって行われた発見について記載することであった。これらの発見のすべては、自然社会について信頼できる知識を得るにあたって、科学的方法がいかに有力であるかを示している。
科学哲学者ポッパー(Karl Popper)は、科学的方法は事実の集積に始まるのではなく、解決されていない問題の認識に始まる、と言っている。これは解決への推測、すなわち仮説の形成に導かれる。この過程は本質的に仮説の批判的検討および実験に導かれ、実験は仮説の誤りを証明することができる。これは基本的には誤りの検出である;本質的に自己-修正の力を持っている。それにも拘らず、完全に検証を受けないでは否定されないように、仮説を守るのが同じように重要である。仮説がこのような試験に持ち堪えることは明らかに正しいことを意味するのではない。しかし、誤った仮説は試験の繰り返しによって除かれるので、現実にますます正しく近づくことができる。
この過程はシンポジウムで論じられたタンパク質の初期の研究に示される。タンパク質は1820年代のイヌ飼育実験で必須の栄養素であることが承認された。続いてリービッヒ(Liebig)とフォイト(Voit)のドイツ学派は理論的根拠から、タンパク質は筋活動のエネルギー源と考えた。1866年にフィックとウィスリツェヌスは登山を行って、洗練された窒素出納研究よってこの仮説に対して挑戦した。彼らの結果をフランクランドは解明して、リービッヒの仮説が誤りであることを決定的に証明した(論文2)。それにも拘らず、タンパク質の大量摂取は精神と身体の活力を高めるために独自に重要であると、チッテンデンによって挑戦されるまで40年間も信じ続けられた。彼はフォイトが勧告したタンパク質の半分量で、健康な若い男子は活気を保つことを示した (論文5)。
もう一人の科学哲学者クーン (Thomas Kuhn) は、科学の主要な進歩は徐々に起きるのではなく、突然に起きるものであり、”科学革命” を構成すると結論した。彼は、ある時期、ある領域の科学者たちの科学研究を支配する理論的仮説、法則、技術の総合体を、”パラダイム”と名付けた。ところが、遂にはこれまでのパラダイムで説明できない観察が為されるようになる。そのパラダイムは不適当と認識され、ふつう新しい技術と結びついて常識的ではない洞察の結果として、革命的に異なる新しい仮説が提案される。この仮説は新しいパラダイムとなり、この考えが強固となる時代が続く。クーンが科学革命と考えた例は、コペルニクスの発見である。ほとんどすべての天文学者たちは地球が太陽系の中心と考えていたときに、太陽が太陽系および地球をふくむ惑星の中心であることを示した。クーンによるといろいろな科学の歴史は、一連のパラダイムが点在していて、その中間でそのときどきに普及しているパラダイムの限界内で、”正常の科学”の研究が行われていると考えられる。この見解はポッパーの考えと相補的である。ポッパーは誤りを明るみに出すために、絶えざる仮説の検証および修正の必要であることを強調した。栄養学は生物学および医学の一部であり、生物学と医学の科学革命はヒポクラテスの時代から起きてきた。
生物学および医学における科学革命の例は、ハーヴェー(Harvey)、ラヴォアジエ(Lavoisier)、ダーウィン(Darwin)による発見である。どれも、これまでのパラダイムを廃物にした。ハーヴェーは1628年に心臓がポンプとして血液を動脈に送り、静脈を通って心臓に戻ることを発見した。これにより、血液が動脈系を往復するとした2世紀のガレノス(Galen)による仮説は終末を迎えた。ラヴォアジエの1777年の発見、すなわち燃焼は酸素が他の元素と結合しエネルギーを遊離させる化学過程であるということは、燃焼は”フロジストン(phlogiston)” を失うことであるとする、前世紀からの仮説を支持できないものにした。ダーウィンは1859年に刊行した古典的な研究’種の起原’において、新しい種は数百万年の間に連続的に進化してきたことを示す事実を集めた。彼の進化論は、西欧的宗教を信ずる国々でほとんど一般的に受け入れられてきていた、種は超自然の介入によって完全な形で生ずるとする聖書的創造説が、科学的観察と相容れないことを示した。
このシンポジウムの報告はすべて栄養学の考え方に影響を与えた実験について論じている。あるものは、受け入れられている概念に挑戦して新しい概念に置き換えた実験について述べる。あるものは新しい概念の特殊な問題を探求から生まれた発見についての報告である。幾つかは、ある領域のパラダイムの急速な変化を起こすという、クーンの科学革命の概念に適合する。
栄養学における主要なパラダイム・シフトは、有機および無機の微量栄養素が必須であることの発見であった。純化した食品成分からなる食事によっては、成長も生命すらも保つことができないことを示す幾つかの観察が19世紀になされたにもかかわらず、このシフトは一つの発見によって突然に起こりはしなかった。これには60年以上の期間が必要であった。この遅れは主として新しいパラダイムにたいする多くの科学者たちの抵抗によるものであった。彼らはリービッヒの大きな名声によって影響され、栄養学的に適当な食事は、エネルギー源、タンパク質、幾つかのミネラルだけからなるという彼の考えを、ほとんどドグマとして受け入れていた。栄養学の考え方を変えるべきであったにもかかわらず変えなかった多くの実験によって、リービッヒ仮説の不適当であることが示された後になって始めて、新しいパラダイムが一般的に受け入れられるようになった。4つの論文はこのパラダイムのシフトに貢献した実験について記載している。
1890年代になってフレインスは、エイクマンがジャワ(インドネシア)で行った白米を餌にしてニワトリを飼うと脚気に似た多発性神経炎を起こすという研究を発展させた。この病気は餌に米ぬか、マメ、またはこれらの水抽出液を加えると予防することができた。彼は米ぬかやマメには適当に存在するが、白米には存在しない有機化合物を、ニワトリが必要とする、と結論した。彼の観察は栄養学の正統的な考えに直接の影響を与えることはできなかったが、最終的には新しいパラダイムの基礎に大きな貢献をした(論文4)。
食物や餌の栄養価は、近似成分(proximate composition:窒素、エーテル抽出物、灰、差による炭水化物)によって予測できるというリービッヒの概念を、1907年にハートその他は直接に試験した。彼らは、餌として完全であるトウモロコシ餌と主要な栄養素について同じである小麦餌で雌ウシを飼ったところ、生まれた子ウシは短い期間だけしか生きられないことを見いだした。これはリービッヒの概念が不適当なことを示すものであった (論文 6).
続いてマッカラムは、ラットにカゼイン、炭水化物およびミネラルからなる純化した餌を与えると、バターにはあるがオリーブ油にはない脂溶性成分を与えない限り、成長が止まることを見いだした。白米餌を与えたラットは、フレインスが示したように水溶性成分Bが必要であり、それとともに脂溶性成分Aの必要なことが見いだされた(論文7)。この時期にノルウェーのホルストとフレーリッヒ(Holst and Froelich)は、モルモットにフレインスの餌に似たものを与えて、壊血病類似の病気を起こさせた。この病気はモルモットにレモンジュースまたはキャベツを与えることによって予防することができた。
また、1909年から1914年のあいだに、イェールのオズボーンとメンデルは、トリプトファンがマウスの生存に必須なことを示したケンブリッジのホプキンスの以前の観察に続いて、植物タンパク質のあるものだけでは他のアミノ酸を追加しない限りラットが成長しないことを示した(論文8)。ホプキンスおよびロンドンのフンクは1912年に、壊血病、脚気およびくる病は食事欠乏病であると推定した。1910年から1915年の間にリービッヒの概念の不適当なことが上記およびその他の研究によって示され、食品中の微量成分が必須であるという新しいパラダイムが広く受け入れられた。
新しいパラダイムが受け入れられると、ほぼ1915年から1950年代までこれまで例が無い栄養科学の発見の時代が続き、約40の必須栄養素が同定され性質が明らかになり機能が研究された。このシンポジウムの幾つかの論文は新しいパラダイム内における知識の増大に関係する代表的な実験を論じている。
鉄は19世紀の初めにヘモグロビンの成分として知られたが、有機化合物に結合した鉄だけが利用できると信じられていたことが、栄養におけるミネラルの役割を理解することの障碍であった。無機鉄が効率よくヘモグロビン合成に使われるという1893年におけるストックマンの研究はこの誤った仮定を正した (論文3)。35年後にハートらは鉄がヘモグロビン合成に利用されるのに銅が必須であることを発見した。今では銅はトランスフェリンによる鉄の取り込みを促進して、赤芽球による鉄の造血への利用を増進させることが知られている (論文10)
黄色のカロチノイド色素と無色の油の両者がビタミンA活性を持つことが見つかり、ビタミンA前駆体の本性についての競合する仮説の問題はトマス・ムアによって解決された。彼は1930年に黄色のβ-カロチンが動物体内で無色のビタミンAに変化することを示した (論文11)。チアミンは1937年にローマンとシュスターによって補酵素チアミンピロリン酸の成分であることが示され、動物体のピルビン酸代謝におけるこの補酵素の役割はピータースによって明らかにされた (論文12)。タンパク質および酵母の無タンパク質抽出液がペラグラの治療に役立つこと示したゴールドバーガーの観察により提起された問題は、アミノ酸トリプトファンが体内でナイアシンの前駆体であることをクレールらが発見したことによって解決された (論文15)。微量ミネラルの間における相互作用および拮抗作用はディックらによって発見された。彼らは正常適量の銅を摂取している動物で、モリブデンまたは硫酸塩または両者の摂取量が多いと、銅欠乏の起きることを観察した (論文16)。1972年にセレンがグルタチオン・ペルオキシダーゼの作用に必須であることは、ロートラックらによって示された (論文20)。
やはり1970年代に、ケンブリッジのコディチェックおよびウィスコンシンのデルーカにより、ビタミンDが直接にカルシウムの腸吸収を促進し骨代謝を調節するという普及していた考えの誤っていることが示された。ビタミンDが肝臓と腎臓の協力によってホルモンとなり、それまでビタミンDによると思われていた作用をすることを彼らは示した。これは新しい概念:ビタミンがホルモンに変換して作用すること、である。
栄養学のもう一つの重要なパラダイムシフトは、体が栄養素や組織成分を合成し分解する能力についての発見であった。シフトは幾つかの局面で起きたが、2つについてこのシンポジウムで述べる。
偉大なフランス生理学者のクロード・ベルナールは、糖もデンプンも含まない食餌を摂取したイヌの血液のグルコースの源について考えた。1850年代における一連の注意深い実験によって、彼はグリコーゲンおよび糖新生の過程を発見した。この糖新生によってグルコースおよびグリコーゲンはグルコースでない前駆体から合成され、肝臓はこれによってグルコースを血液に供給する (論文1)。
1930年代にシェーンハイマーは同位元素標識化合物を使って、経口的に摂取した脂肪酸およびアミノ酸の代謝運命を追跡した。これによってこれらの栄養素はそれぞれ貯蔵脂肪および体タンパク質に急速に取り込まれ、代謝産物は幾日間も排泄され続けることを、初めて明らかにした。彼の研究によって、外的(食亊性)および内的(組織性)の代謝を区別するという概念は、”代謝の動的状態”、すなわち組織は絶えず分解され、食品および組織の成分が共通のプールに入り、これから新しい組織成分が合成されるという、考えで置き換えられた (論文14)。
ショ糖およびフルクトースが若いブタや子ウシに有毒であることをベッカーらが示したことは、上記パラダイムの幾つかの拡張の一つである。ある栄養素の代謝経路は生まれたときには機能せず、成長の初期に発展することを示しているのかも知れない (論文18)。
1915年から1950年までの必須栄養素の相次ぐ発見および栄養欠乏病の現実の消失によって、食事はすべての必須栄養素を充分に準備して、成長および発展を損わないように予防することが、栄養学において強調されるようになった。年をとるとともに要求量の減ることは認識されていたが、食物摂取の長期にわたる効果についてはほとんど注目されなかった。必須栄養素の摂取が生涯を通じて適当であれば他の食事要因は大した問題ではない、というパラダイムにたいする最初の挑戦はマッケイによって行われた。急速な成長を強調する短期間の実験は、生涯を通じて最も望ましい栄養状態の適当な試験でないことを、彼は論じた。栄養的に適した食餌を自由に食べることができるラットはもっとも早く成長したが、量を制限されたラットはずっと長生きすることを、彼は見いだした (論文13)。これらの効果の基礎について競合する仮説は解決されていないが、これらは成人の適当な体重およびエネルギー摂取についての栄養学的な考えにとくに新しい方向を与えた。
栄養的必要性のパラダイムの強調によって、食品の非栄養的な成分にたいする注目、および食品は滋養分と医薬品と毒を含むという昔からのパラダイムへの注目がそらされた。食餌中のブロッコリはモルモットのX線にたいする抵抗を高め、これが既知の栄養素の貢献でないことから、食品の非栄養的成分は再び注目されるようになった (論文17)。十字花科植物その他の食物中の物質に抗ガン性のある事実が得られている。これらの観察は、食品は必須の栄養素以外の化学物質がある種の病気への感受性への影響によって、健康に影響する可能性を示すパラダイムに科学的基礎を置くことが受け入れられるようになった。
ここで展望している研究は動物モデルの使用でいかに多くのことを学ぶことができたか示している。それとともに、動物のある種で得られた結果を他の種に利用するには注意しなければならない。たとえば、ラットはビタミンAやチアミンの研究にきわめて優れていたが、ペラグラや壊血病で同じような結果が得られなかったことは、この領域の指導者をして人間のこれらの病気は食事欠乏によるのではないと結論させた。これらの実験はまた、一生のある段階における観察を全生涯に適用させるのは注意しなければならないことを示している。
栄養学の歴史は、新しいパラダイムや概念は必ずしも以前のものに取って代わるのでないことを示している。あるものは共存し重なり合い、すべて研究に有効な枠組みとして残る。栄養学における新しいパラダイムや概念の展望は何であろうか? 近年では遺伝学および分子生物学の技術の栄養問題への応用によって、代謝適応やホルモン作用や免疫系の反応に関して、栄養素およびその代謝産物の遺伝子発現の制御における役割が理解できるようになってきている。今では予想されない新しいパラダイムや概念がこれに続くであろう。
このシンポジウム記録は、一方では栄養学への科学的アプローチによって途方もなく大きな進歩のなされたことを示すとともに、他方では一般によく認められている仮説および概念でも絶えず批判的にアプローチをすることの重要性を示すものと、我々は信じている。
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